ADHDの暮らしの知恵

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ADHDの息子のこと・3(小学2年生、診断)

息子が小学2年生の時のこと。

息子の担任は50代の女性教師でした。

ある日、同級生のお母さんから、息子が教室内でグループ活動から孤立させられていると聞きました。息子の机は教卓の真横にポツンとひとつだけ離して置かれ、通常はグループで食べる給食もその机で一人で食べていると。

息子は、2年生になってから「おともだちができない」と悩んでいました。私はこの孤立が原因ではないかと思い、すぐに小学校へ電話をかけ、学年主任に私が聞いた内容を伝えました。折り返し教頭先生から連絡があり「学校で話しましょう」と言われました。

担任は、息子の行動が周囲の子供たちに悪影響を及ぼすと考え、息子の行動を矯正するためにそのような対応をしたのだと思います。けれど、クラスで息子を孤立させるのはやり過ぎではないかと訴えました。教頭先生との話し合いの後、担任は息子を孤立させることをやめました。けれど、担任は息子に対してヒステリックとも受けとれる態度を取り続けました。

何度注意しても、何度教えても、直らない。計画的に進めなければならないカリキュラムが、息子のせいで遅れる。担任のいらだちは、とてもよくわかります。けれど、今から思うと、担任の一連の行動は、障害のあるなしにかかわらず、子供を指導する立場の人としては適切とはいえない行動だったと思います。

2年生を修了してもうすぐ春休みという頃に、担任から手紙をもらいました。「お母さんではもう手に負えないと思うので、教育委員会の機関に息子さんのことを相談しては」という内容でした。

この時、初めて「息子が『普通』ではない」ということを突きつけられたようで、私は大きなショックを受けました。最初は「担任が息子を見放した」と受け取り、怒りを感じました。けれど、これはおそらく担任の一存でなく学校側の総意なのだと思いなおし、勧められたとおり、教育委員会の機関(今では発達障害を持つ人たちのために「発達支援センター」という機関が設けられていますが、当時は何らかの問題を抱えた親子をひっくるめて支援する公的機関がありました。名前を忘れました)を息子とともに訪れることにしました。

そこで、私と息子は専門の担当者から別々に評価されました。私に対しては養育上の問題(貧困、虐待、ネグレクトなど)がないか、息子に対しては心理・発達上の問題がないかを調べられました。そして、息子についてさらに詳しく評価するために、その機関から国立の小児専門医療機関を紹介されました。

その頃、私は「息子が普通でないとしたら何なのか」を、自分で調べ始めていました。そして「息子はADHDと呼ばれる発達障害を持っているのではないか」というところまで、自力でたどり着いていました。

専門医療機関での詳しい検査の結果、息子は「ADHDの特性を持っている」という診断を受けました。けれど、担当した医師は「特別な療育や投薬が必要なレベルではありません。親御さんと学校の先生方が互いに協力して息子さんを見守っていけば、必ず良い方向に育っていきますよ」と言って下さいました。そして、息子への接し方に関するアドバイス、例えば、時間の流れを把握するのが苦手なので、目につくところに「やらねばならないこと」を順序立てて書いておくこと、文字による理解が苦手なので絵で書いて説明すること、などを教えてもらいました。

私は、その診断結果と担当医からのアドバイスを、教育委員会の機関と小学校に伝えました。

この時から、私と息子は良い方向に救われていったのです。息子に対する極端な対応に疑問を感じたこともありましたが、教育委員会の機関に行くことを勧めてくれた担任には、今では感謝しています。